求めていた愛情はちゃんとある

お父さんにこう言ってもらいたかったなぁ。お母さんにこうしてもらいたかったなぁ。親に言ってもらいたかったこと。やってもらいたかったこと。この「もらいたかったこと」が思うように届けられていなかった。つまり受け取れていなかった。これが傷やコンプレックスになって、自己否定や自信のなさに繋がっていることが多くあります。私もそう。心の中でいつもどこか、親を責めてた。大好きで、尊敬する、とても大切な存在の親を責めるというのはとてもしんどいこと。本当ならこんな気持ちを抱きたくないのに。本当ならいつも笑っていたいのに。本当なら、本当なら。っておもいは「こんなはずじゃない!」って人生を過ごしていたから出てくる言葉。そして、親のことをこんな風に責めてしまう自分に悲しみや罪悪感も持ってしまう。このような出来事は結婚当初、夫に対してもありました。どうしてこう言ってくれないの?どうしてこうしてくれないの?本当はこう言ってほしいのに。本当はこうやってほしいのに。またまた出てきた「本当は」からの「こんなはずじゃない!」そこで夫婦間のことを見直したんです。私は言わなくても悟ってほしかった。泣き言や甘えた考えをみせてほしくなかった。怠けずいつも機敏に動いてほしかった。いつも自分自身を律して頑張ってる自分と同じようにしない夫に腹が立って仕方がなかったんですね。だけど、よく考えてみたら。私が夫に求めていたことは、全て私が...

生きる枠が広がった

ご無沙汰しておりました。しばらくブログを離れておりましたが、また書き始めることにしました。正直、以前は「どんなことを書けば読んでくださる方のお役に立てるかな」そんな気持ちが優っていたように思います。ここに戻ったのは、素直に思うがままに書いてみようと心底思っているからなのであります。でね。今日書いてみようと思った内容は「生きる枠」について。先日、とても久しぶりにある方のセッションを受けさせてもらいました。心の学びはもう10年以上してきています。そこそこの知識も経験も重ねてきました。だけどどこか、どうしても抜け切ってない霧がかった感覚が払拭できていない感じ。頭では理解してるんだけど、心に落ちてないような沁み込んでないような濁り。とても信頼の持てるその方なら、スムーズにお導きをいただけると思ったんです。とても長く時間を要するセッションでした。「以前の私自身と決別し、新しい私を迎え入れる」そんな内容のものでした。セッションを受けた数日後から、みるみると自分の中の意識や行動に見直しが起きるようになりました。それは何故かというと。以前の私は自我を否定して閉じ込めるルールを自分自身で強く形成し死守していました。字のごとく「死守」していたんです。だけど長年守り貫いてきたそのルールは頑張ることも、必死になることもなく、意図も簡単にナチュラルに、まるで自分が好んでやっている当たり前のこととみなされる程...

堪らなく好きから得る幸福感

少し間が空いておりました。シフトチェンジを控えている今。安定し平穏な日々を過ごしながらも、躍起にしゃかりきに行動する日もあって。立ち止まり深呼吸をして、また進む。そんなテンポを選び整える様なことをよくしています。ここにきて今、よく感じていることは。「堪らない」気持ちが抑えきれない。素晴らしくて素敵でこの上なくいい。そんなことばかり。昨日もあるイベントに参加してきまして、今を先ゆく方々の楽しいお話しをたくさん聞いたんです。普通に過ごしていたら想像もできないような世界がこれから広がるという事実。それは良くも悪くもなんですけどね。私は発展する部分を聞いても、破壊に感じることも多々ありました。今も未来も本当に大切なことって何だろう?守りたい、維持したい、本質的なところはどこなんだろう?そんなおもいが膨らむばかりでした。「堪らない」ってね心から溢れんばかりの幸福感を感じること。そしてそれとは逆に、心から溢れんばかりの拒否を示すこともある。私は堪らなく幸福感で満たされる感覚が好きすぎます。好きな人と過ごしたり好きなことに触れたり「好き」をどんどん引き寄せ自分に運び込むことが人生の醍醐味♡そしてその堪らなく好きなことから溢れ出る幸福感をどんどん溢れ出させて、周りの人にも共有し伝えていきたいと思います。最近自分のことを蝶みたいだなって思うんです。ひらひらと好きを探し回り、飛び回り、見つけては大喜び...

『心花カフェ』開催のご案内

『心花カフェ』のご案内活動の拠点は南大阪(堺市南区、和泉市、岸和田近郊)南海沿線・JR阪和線沿線が主です。 心のことを話したい。身近な家族や友達じゃなくて誰かに話したい。そんな時ってありませんか?だけどただ話せればいいって訳でもなくてやっぱり心のことを知っている人に聞いてもらいたい。そんな風に思うことってありませんか?心がちょっと疲れた時に心がチクッと痛むときに心にぽっかり穴が空いた時に心の動きが激しくて大変な時に心の休め方がわからなくなった時に 私たちは花のように寄り添い花のように癒し花のようにただそこにあるそんな場所を作りたいと思いました。同じようにそんな場を広めたいね~と以前から話していたことをきっかけに2人で構想を立てたくさん語り合い作りたい形をどんどん膨らませ「心花(ここはな)カフェ」を始めました。必要な方に届きますように♡ 【お知らせ】前回より定員3名さま参加費を有料といたします。 おかげさまで心花カフェは第11回を迎えます。女性ならどなたでも気軽に参加していただける会です。お越しのみなさまはなにかしらの悩みをもち心が軽くなるヒントを必要とされている方がいらっしゃいます。限られた時間の中で、しっかりお話をうかがい寄り添い、お気持ちを共有できる場でありたいと私たちはより一層願うようになりました。そこで前回から、3名の参加者さまと私た...

あなたが整うおまじないは何ですか?

毎年お参りする「住吉大社」先日、少し遅めの初詣をしてきました。1月とは思えない、青空が広がる晴々とした日。とても気持ちがよくて心身ともにスッキリと浄化されるのが感じとれました。最近神社参りをしたらお塩を購入するようにしています。お塩をお風呂に入れて浄めるのが日課です。その他にも日課にしていることは色々あってね。それらの日課って自分が整うことなんですよね。じゃあどうして整えることを日々続けるのかな?って考えてみると、100パーセントじゃないとしても高い確率で自分を整えておくと、何かの要因で揺り動いたとしても戻りが早いんです。身体も日頃から運動し鍛えていると、例え疲労しても回復力が高まるでしょう。お部屋もぐちゃぐちゃに散らかったとしても、日頃から整理整頓を心掛けていたらあっという間に片付けられる。どんな要因が起ころうとも、自分が整う心地よい状態に身も心も常に近づいているととても楽なんです。日課じゃないにしても「週に1度は◯◯をする」「月に1度は◯◯をする」とかでもいいですね。要は自分が整うおまじない。あなたのおまじないはなんですか?Have a beautiful day♡

本音で生きることの本当の意味

今日は本音について書きたいと思います。みなさんは「本音」を言えてますか?「本音」は言うもの?それとも言っちゃいけないもの?私は基本的にこの「本音」を出して生きる選択をしています。YESの意思表示や嬉しいや楽しいも出す。NOの意思表示や悲しいや辛いも出す。本音を示した時、その本音を他人に否定されたり受け取り拒否されることも場合によってはあります。「そんなこと言われたくない」「そんなこと聞きたくなかった」みたいな感じで。本音とは時に相手を傷つけたり、嫌な気持ちにさせることもあります。だから私は本音を示した後、他人が拒んだり不愉快だという動作を見せたら、その後は学習したとみなし、本音を見せず出さないようにすることがありました。要は本音を一度出して拒否反応を感じたら閉じ込める。それは本音を言えない、示せないのではなくて、相手を気遣うが故の行動。そう捉えてきました。相手に対する思い遣りと本音の共存。私がこれを続けてきた先に向けられた言葉は「あなたは人を上に見たり下に見たりする。」そんな言葉が降りかかってきました。とても悲しくてショックを受ける言葉でした。だけど気が付いたのです。それは私が、この人には本音をぶつけてはいけない。この人には本音が通じない。この人は本音を受け取れない。そのような対応をしてきたから招いた言葉なんだと。私は人を上に見たり、下に見たりしているつもりはありません。相手に勝つ...

自分の幸せは、自分できめる

年末年始に沖縄で過ごした時間。ゆったりとしていて、決まりがなくて、縛りもなくて。思いつくままに自由でいられました。勝手気ままに予定も行動もころころ変えられる。そうやって過ごすことで改めてよぉーーーく分かりました。もうね、これに尽きる。「自分の幸せは、自分で決める」世の中の動きに合わせることにいかに尽力してきたのかが分かって笑えました。もう諦めよぉ〜笑笑「それでいい」って思えるならそれでいいのです。自分を厳しく見張らなくてもいいし、他人から見張られていると注意しなくても大丈夫。だって人それぞれに仕事や家庭の環境も違うし、頑張り時も、踏ん張り時も違いますよね。ゆーっくり気を抜けるタイミングも、休暇を取りやすいタイミングも。割り切ってしまえばもう楽しくてほっとする時間に包まれました。もっと言うと割り切らないと楽しめません。心の隅にずっと「気掛かり」という名の塊を気にしなくちゃいけなくなります。私はますます、色んな世界を見たくなりました。この目でこの肌で、見て感じたい。働くことも幸せ。遊ぶことも幸せ。休むことも幸せ。お正月は家で過ごさないとダメ?繁忙期に長期休暇を取っちゃダメ?旅行代金が高額な時にわざわざ旅行しなくてもいい?できない、やれない変換をかける癖や技が多発していませんか?やりたいことを「よし!やろう!」と、できるスイッチを押しちゃうとどんどん物事が進みますよ。新たな展開をどんどん...

2020年スタート

2020年がはじまりました。みなさま。あけましておめでとうございます。私は年越しを沖縄で過ごしてきました。自宅を離れての年越しは初めてのことです。年末27日に移動をしたのですが最初は何となくやり残したことがあるような、少し気がかりを感じたのですが、そんなのもほんの一瞬。本当に楽しくてゆとりのある時間を過ごすことができました。いかにいつも年末は掃除に、買い物に、仕込みに、準備にと駆け回っていたか。それらを早々と済ませたり、やらずに放棄できることの清々しさ。開放感を存分に味わうことができました。年末年始の慌ただしさを横目に、どこか他人事気分でただ遊び、ただ好きな時間を過ごせるって本当にいい経験になりました。型にはまらずにやってみるといいですね。やってみて自分の好みを知ればいい。私は「年末年始は自宅以外で過ごす」これにハマりそうな気がしています♡沖縄でやりたかったことの一つ。それは「元旦に御来光を見る」でした。朝5時半に起きてお勧めの海へ。曇り空でまん丸の日の出ではなかったけれど、陽の光はとてもエネルギッシュでパワフルでした。2020年。どうぞよろしくお願いします!

自分自身を心底信頼できていますか?

年末年始は沖縄で過ごしています。思い返してみると自宅以外で年を越すのは初めてのこと。いつもなら年末は掃除や買い物でバタバタと過ごしていますが、ここに居ると「本当にお正月なの?」と、不思議な感覚です。沖縄に居ると、その何もかもが美しくて神聖で清らかなんです。実はこちらに到着してから2日程、ずっと胸にザワザワと小さな不安感のようなものが留まっていました。元気で体調もいいのに、胸の真ん中のチャクラの辺りに小さな硬い不安があるような感覚。沖縄に来たのはこういう「不安」を「癒す」感覚。そして「フラット」な状態へ戻れる自分。ここの集大成なのだろうと思いました。意の向くままに必要だと感じる場所に足を運び、美しい空や海、そして綺麗な花や樹々を見て、水に触れ、砂を踏み、マイナスイオンを浴びました。自然。美しい自然の力は素晴らしいです。こうして自然に癒されて私の心も身体もスーッと整いました。もちろん胸のザワザワもきれいに外れました。2019年に私がより意識を高めて強めたのは、「どんな時も私が私自身を癒し整えられる人である」という確信を持つこと。ある時に気が付いたのが、辛い時、大変な時に「誰か助けて!」「誰か癒して!」「誰か側にいて!」「誰か!」と第三者へ助けを求めていました。それは、助けを求める私になる前の「自分自身で解決して、辛くても我慢」を脱したから。これはこれで必要なことだと思います。辛ければ「...

状況や環境に影響されなくていい

今年もあと残りわずかとなりましたね。令和元年はあっという間に締めくくり、また新たな年を迎えます。私にとっての令和元年は激動の年でもありました。年のはじめに漢字一文字を決めたのは「舞」でした。何事も軽やかに、深刻にならず、ヒラヒラと舞うように取り組んで行こうと。楽しく天真爛漫に過ごすイメージでしたが、人生なかなか軽やかな課題だけでは揃いません。時にはなかなかの重ための出来事もやってきました。いや〜、それはホントに。なかなかに辛いことも大変なこともありました。辛く、悲しい気持ちにもなりますし、腹立たしく怒りを覚えることだってありました。振り返ればそんな時こそ「舞」の意識が生かされた様に思います。怒りや悲しみに支配されず、執着せずに居る意識が常にありました。後にひかない。いつまでも抱えない。どんな状況でも気を抜いて安らぐタイミングは作れるんだということも何度も経験しました。生きていれば自身や周りの状況や環境がありますよね。状況や環境は一定ではありません。誰しも変わるものです。それらに左右され揺さぶられていては自分を見失い、身動きが取れなくなってしまいます。どうすれば左右されずブレないか。どうすれば自分の軸を立てたままで居られるか。それはね、状況や環境に影響されないこと。どんな時も自分を生きるのです。状況や環境に支配されなくていいんです。そして自分を生きることは、自分勝手でも薄情でもないと...

後世に豊かで美しい世界を繋ぐために

メリークリスマス♡どこへ行ってもクリスマスソングが聴こえてきますね〜♬ツリーや装飾でキラキラした街並みが今年1年の締めくくりの合図のようで、時折2019年を振り返っております。私はここ数年の中で膨らむおもいがありました。それは、「豊かで美しい世界を後世に繋げたい」私には18歳と4歳の子供がいます。世代の離れた2人の子供を見ているとこれからの若者に、そして小さな子供たちにと溢れるおもいが生まれてきます。便利に発展するスピードが加速するこのご時世、みなさんはどのように受け止めていらっしゃるのでしょう?とても快適で素晴らしい点と、本当にここまで必要なのか?と疑問を覚える点もありませんか?物事の本質をきちんと見据えた上で、「守るべきものは何か?」を全ての人が考え選択する時代なのかと思います。もうすぐ大人世代に入る息子。まだ小さく幼い娘。子供たちはどんな環境で生きていくんだろう。どんなものを食べるんだろう。どんな仕事をするのだろう。楽しく実りある未来を繋ぐ大人でありたい。豊かで美しい世界を繋ぐ世でありたい。長い人生とはよく言いますが、人生は長いようで短いのかもしれません。そして尊い。今世に出会った家族や周りの大切な人。同じ時代を生きられる世の中の人々。この世にある自然も景色も場所も。空間も時間も。全てが尊い奇跡の巡り合わせ。だから1日1日を大切に生きる。丁寧に手間をかけて心を込めて。そして無...